研究所設立の沿革

 額田医学生物学研究所の創設は、額田晉により、昭和14年(1939年)のことである。額田晉は東邦大学の学祖といわれ、東邦大学を創立した額田兄弟の一人である。本研究所設立の意義は、創立者自身が<設立の趣旨>として述べており此処に全文を記し、沿革史とする。

 

<設立の趣旨>

 わが国には、各所に数おおくの大学があつて、教育のかたわら、それぞれ専門の領域で研究業績をあげている。それはまことに喜ばしいことである。しかし一面からみると、大学の教室では、多くの研究者の出入りがあつて何となく落ちつかず、したがつて、ある特殊の問題を永い年月にあたつて研究するには、必ずしも適当であるとは思われない。ことに医学の方面では、基礎医学と臨床医学との連絡さえも、いつも緊密に行われるとは限らない恨みがある。

 

 このような自分の体験から、できるなら大学とは全く行き方の違つた総合的な研究所をつくつてみたいという希望をもつていた。そして昭和11年に多くの研究所のあるBerlin郊外Dahlemの地に遊ぶにおよび、ますますこの感を深くしたのであつた。

 

 かような夢を描いていたところへ、たまたま都心からの距離などちょうどDahlemの地に匹敵するこの稲毛の地を手に入れることができたので、いよいよ意を決して研究所の設立にとりかかつたわけである。それは昭和14年(1939年)のことであつた。

 

 最初に動物実験室2棟と付属病院をつくつて研究をはじめたが、いまの総合実験研究室は、ようやく昭和32年(1957年)に新築する運びとなったのである。

 

 そのようなわけで、この研究所では医学および生物学の領域におけるある特殊な問題をとらえて、いろいろな専門の分野から、総合的に、しかも永い年月にわたつて―必要に応じ2代でも3代でも、いくらでもつづけてー研究するのが特色である。ゆくゆくは世界における最高級の研究所に発達させ、そうして人類文化の進展と福祉に寄与したいと念願している次第である。

 

1962年6月

創立者 額田 晉

 

 

 この趣旨は、創立者が死去した後も、前理事長 額田煜、そして現理事長 額田均へと承け継がれている。創立時は行われていた結核療法に関する研究の中断や結核病棟の閉鎖に伴う一般病棟の開設など、時代の変遷とともに研究所の様相に変化はみられるが、現在もなお研究所設立の趣旨に沿い、末梢神経関係の研究を中心にして、各位のご高導ご援助により、創立者の理想の実現に向け力が注がれている。

 

過去の研究展望

 額田医学生物学研究所は、創立以来半世紀に及び、数年を経ずして21世紀をむかえようとしている。科学研究の移り変わりも、この50年間で急激に変化し、従来の生理学、生化学の方法に加えて、分子生物学、遺伝子工学、免疫化学など新しい手技が駆使されて、機能の本質は、細胞レベルから、細胞を構成する分子レベルの立場に立つて明らかにされようとしてきている。本研究所においても創立者の創案になる慢性疾患の転調療法を始めとし、その抗腫瘍への応用の試みに加え、さらに疼痛除去の機構、末梢神経や脳に関する諸問題の解明へと研究は進展し続けている。

 

 翻つて、世相の推移をみると、人口動態については21世紀初頭に、老人が日本全人口の25%を占めてくると予想されている。当研究所付属病因の患者層もそれを裏付けているが、長寿を幸せに送るためには、各人が健やかに老いてゆくことが必要であろう。

 

 さて、我が国においては、21世紀が”脳科学の時代”であるとの認識のもとに平成8年に脳研究の国家プロジェクトが發足した。この脳という意味は、脳を構成する神経細胞のみをさすのではなく、広く”こころ”の問題を解明することにあると考える。心は脳を含む躯全体に支えられ、知・情・意となつて表れてくるものである。従つて豊かな心は健やかに人生を重ねて行くことにより生まれてくるに違いない。

 

 創立者は、研究所創立の理念を基礎医学と臨床医学の壁をはずし、総合的に研究を進めることを特色としたいと述べておられる。人類を取り巻く環境を含めて広く人生を洞察し、健やかに老いてゆくための豊かな心の本質を見極めるように研究を重ねてゆけば、創立者の目指す人類文化の進展と福祉に寄与することになると考える。

 

1996年11月

研究所長 平野 修助